先週の弾き語り動画はBUMP OF CHICKENの「イノセント」を投稿しましたので、歌詞について考えていこうと思います。
タイトルのイノセント(innocent)の意味は
無罪の、潔白な、汚れのない、純粋な、、等など
意味があります。
聞く人を皮肉る歌詞も多いですが
この曲はBUMP OF CHICKENが常々感じている、音楽への思いを綴った曲になっています。
では、自分なりの歌詞の解釈を書いていこうと思います。
誰もが持ち続ける心の奥の思い
子供じみていて恥ずかしいよと 馬鹿にしたけど
恐らく自分より 素直で勇敢なだけ
努力はおろか行動さえ 起こせないのに
周りの奴等は 狡いと決めて
恵まれなかったから 才能とチャンス
それさえあったら
人はいつから自分の才能や実力に気付いて、周りと比べ、生きていくようになるのでしょうか。
自分に才能がない、ましてや努力や懸命に生きていくことさえ、ままならない。
自分が出来ていないだけ、ということは心の片隅で理解しながらも、何かしらのプライドが邪魔をして認められない。
自分の存在を高めるより、人を蹴落としたり、見下したりして自分より下に見る方がよっぽど簡単で楽な生き方だ。
才能とチャンス、それが自分には廻って来なかっただけ、それが悪いんだ、自分は悪くない。
そう思うことは誰しも一度は感じるのではないでしょうか。
あなたに立ちはだかる壁
自分が置いていかれたら 逆恨みして
あいつは変わったと 欲に目が眩んだと
一人で生きていくもんだと 悟った顔
一人でも平気な 世界しか知らない
頼まれたわけでもないのに
生活は全部そんな感じで
友だちと一緒に部活や習い事を始めた人は感じたことがあるかもしれません。
同じ練習や勉強をして、同じ様な日々を過ごしていたはずなのに、周りの人たちの方が自分より成長している。
置いていかれたような孤独感。
中にはその孤独感に苛まれて、自分より上手くなった人を馬鹿にしたり、悪口を言ってしまう人もいるでしょう。
こんな状況にしてくれなんて、自分も恐らく他の誰も頼んでいないはずなのに、こんなことになっている。
ですが、これは悪かもしれませんが別に罪ではありません、自分の中だけに起きている状況なのですから。
感じ取ってくれたあなたがいるのが喜ばしい
誰の声か どうでもいい
言葉と音符があるだけ
君の側に
過去に作詞の藤原さんはこのようなことを言っています。
BUMPの曲を聞く人に悪い人がいないなんて思っていません。
あなたがもし悪い人でも曲を聞いてほしい。
あなたの善悪なんてどうでもいい。
僕に必要なのはいい人ではなく、BUMPの曲を聞いてくれる人なんだ。
これは藤くんやメンバーの究極に「純粋」な気持ちなのだと思います。
聞く人が優しかろうと悪人だろうと関係ない、BUMP OF CHICKENの曲を聴いて何かを感じ取ってくれる人が居ることが重要なんだ。
人を蔑むのはやめた、自分を見てみよう
語彙が豊富です 造詣が深いです
機械の力です
水掛け論が得意です
あまりよくないあたま
芸術に関しては 見る目がある気がする
あれは駄目であれは良い
趣味のお話
本当はもう解っている
猫に小判なんだって事ぐらい
2番の歌詞は1番とは違い、良いところを並べて自分を肯定してみようとしています。
個人的には「あまりよくないあたま」の部分が全部ひらがなで少し馬鹿にした感じが出ていて好きです。
いつか君の心に届く唄を
君がどんな人でもいい
感情と心臓があるなら
君の力になれるように
気付かれなくとも
唄は側に
2番のサビは先程の藤くんの言葉の意味がより濃く出ています。
聴いているあなたがどんな人でも構わない、生きているなら、曲を受け止めてくれるなら。
僕たちの唄が君の心に届き、少しでも動かすことができるその日まで、君の側に届け続ける。
そんな意思を強く感じます。
今、あなたに見えるものは綺麗事か、綺麗な事か
信じなくていい 手は挙げなくていい
認めなくていい 全て君が正しい
地球は綺麗事 君も僕も誰でも何でも
君の嫌いな ただのとても 綺麗な事
前にも言いましたが、これまでの感情は決して駄目なことではないのです。
ある意味、人間としては本能に「純粋」に従っているのかもしれません。
愛だとか勇気だとか努力だとか、世の中はそういったモノが目立ち、もてはやされます、見る人が見れば綺麗事なのです。
しかし、それを「綺麗事」と見るか、「綺麗な事」と見るかによって、また世界は変わってきます。
音楽もそうです。
BUMPの曲を良い曲だと取るか、悪い曲だと取るか、音楽として認めるか、認めないか、その人次第です。
しかし、それもどう取っても悪いことではないのです。
君がただ聴いて感じてくれるだけで良い、と言っているのです。
あなたはあなたを諦めてはいない
恵まれていたとしても
才能とチャンス 活かせただろうか
自分を嫌えば許される それは間違い
自意識が過剰 そもそも嫌えていない
好きの反対は「無関心」
なんて言葉を聞いたことはありますか?
自分の事なんて嫌いって言ってる人はそんな事言ってる自分が好きなのです。
自分の事が気になって気になって仕方がないから過剰に嫌うのです。
届いた唄が嫌われようとも届いたのなら
誰の声か どうでもいい
言葉と音符があるだけ
ただ力になれるように 愛されなくとも
君の側に
君がどんな人でもいい
感情と心臓があるなら
いつか力になれるように 万全を期して
唄は側に
君の側に
自分の事が嫌いだろうと、どれほど他と劣っていて劣等感を感じようと
自分が好きだろうと、善人や悪人だろうと
君の一歩を踏み出す力になるために僕たちは曲を作り続ける。
BUMPの曲があまりにも心に刺さりすぎて、曲を聴きたくなくなるかもしれないとしても
君自身が前を向こうと感じてくれる日にBUMP OF CHICKENの曲が側で流れてくれていることを祈って、僕たちは音楽を作り続ける。
音楽という手法で思いを届ける、BUMPのただただ曲作りへの「純粋」で他になにもない「潔白」な思いを綴った曲なのかもしれません。
最後に:きっかけは何だって良い
さて、今回はBUMP OF CHICKENの「イノセント」について書いていきました。
BUMP OF CHICKENをあまり聴かない人でもテレビとかで流れてて、ちょっと一曲聴いてみたら感動した、なんてハマってくれる人も多いもんなぁ。
そういうちょっとしたきっかけで「イノセント」の通り、BUMPの曲が一人でも多くの人の力になってくれると良いですね。
これは綺麗事?綺麗な事?
どっちでも良いよね、聴いてくれたら
ではまた次回。
ino
魂込めて歌いました!:良ければお聞きください。
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