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BUMP OF CHICKEN 飴玉の唄の歌詞:考察 究極の信じるという証

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今回もYouTubeにてBUMPの楽曲、「飴玉の唄」を弾き語りで歌ってみましたので歌詞について書いていこうと思います。

 

本当に信じるとは何か。

 

藤原さんは過去に「俺は世の中に信じられるモノは少ない、大概のモノは疑っている、その代わりに信じるって決めたモノへの力は世界一かも、それくらい費やすエネルギーは大きい」

 

と概要ですがこのように語っています。

 

藤原さんは「飴玉」がお菓子の中でも好きな食べ物らしい、まん丸で口の中で転がして、美味しいし、楽しい。

 

大好きなモノだから、好きな人に、信じた人にあげたい、分かってもらいたい、楽しんでもらいたい、とかたくさんの感情が込められているのだと思います。

 

その信じる力と「飴玉」という可愛らしい表現がどう繋がっていくのか、歌詞を見ていこうと思います。

 

 

歌詞解釈一覧ページはこちら>>

 

どんな君でも信じることができる

僕は君を信じたから もう裏切られることはない

だってもし裏切られても それが解らないから

どうか君じゃなく ならないで


悲しい時 嬉しい時 どちらにしても ほら泣く

困るでしょうって更に泣く あんまり困らないよ

飴玉あげる

 

 

本当に心から信じるとはたとえ裏切られたとしても、それが解らないくらいその人を受け止めてあげられること、究極を言えばそういうことなのだと思います。

 

泣いたり、怒ったり、笑ったり、わがままを言ったり、時には苦しい顔を見せる時だってあるでしょう。

 

でも、心の底から好きで信じているのなら、どんな君でも構わないのです。

 

飴玉をあげたい、好きだからあげたい、信頼の証として飴玉という形が歌になったのかもしれません。

 

 

確かに見えるものでなければ、信用できない

何光年も遙か彼方から やっと届いた飴玉だよ

そういう1ミリを繋いで 君と出会えた 僕がいるよ


見えない神様 僕らは祈らない

冷えきった君の その手に触れて 心を見たよ

 

 

人と人との距離感は非常に難しいモノです。

 

物理的な距離が近いからといって、信じる人に値するかは分かりません。

 

人によっては信じるまでに少しずつ、慎重に心の距離を詰めていかなければ到達できない人もいます。

 

たった1mの手が届く距離でもその人の心までの距離は何光年も遠い先かもしれません。

  

ただ遠すぎて絶望的な距離でも神様のような見えもしない、存在には祈ったりしたくはない。

 

神様に頼まなくても、冷えきった君の手に触れて君の本当の心が見たいと僕は思っているのでしょう。

 

 

信じるまでの道のり

聞けない事 言えない事 上手に話せなくて泣く

出ない言葉 強い気持ち 時間が足りないと言う

僕は 君と僕の事を ずっと思い出す事はない

だってさよならしないなら 思い出にならないから


さぁ ゆっくり下手な 話をしよう

言葉の要らない 話をしよう

 

 

心の距離を縮めようとしても上手く伝えられないことなんて何度だってあります。

 

僕は君を信じているから、あの頃は良かった、なんてなる事はないのです。

 

本当の信じるとは信じ続けるということ。

 

そうなるためには言葉を交わす以外の表情や空気感も読み取ることが必要なのかもしれません。

 

 

本当に信じる人は遠い昔から

何億年も遠い昔から お互い知っている人がいるよ

そういう1秒を紡いで 僕と生きている 君がいるよ


死なない神様 僕らは祈らない

咳をする君の 熱に触れて 命を知るよ

 

 

心から信頼できる人に出会えるなんて恐らく、人生でも相当少ない確率だと思います。いろんな1秒や1ミリの偶然を重ねてやっと出会えたのかもしれません。

 

ですが、誰しもきっと、そういう人に出会いたいという気持ちは気づかなくとも心の奥で育っている気持ちなのではないでしょうか。

 

出会う人全てを信じられる人がいたら、それは本当に神様みたいは超越した存在。

 

そんな人は信じられない、咳をする君(命のある君)、実際に目の前にいる君に振れることでどんどん心へ近づいていきます。

 

 

本当に信じられる人が居なくなったら?

僕は君を 信じたけど 君が消えたらどうしよう

考えると止まらないよ 何も解らなくなる

いつか君と 離れるなら いっそ忘れる事にしよう

出来るのかな 無理だろうな 離れたくないな


僕は 君と僕の事を ずっと思い出す事はない

だって忘れられないなら 思い出に出来ないから

ねぇ 怖いよ 止まらないよ 上手に話せやしないよ

君は僕を 信じてるの 離れたくないな

見えなければ 死ななければ だけどそんなの君じゃないよ

僕は嫌だよ 君がいいよ 離れたくないな


飴玉食べた 君が笑う

 

 

信じ抜いた先には、君自身がいなくなった時の恐怖も共にやって来ます。

 

やっと出会えた、信じられる大切な人、その人が居なくなったと考えると居ても立ってもいられません。

 

忘れようとしても出来ないのです、だってもう裏切る事をしようなんて思えないところまで近づいてしまっているから。

 

君が神様のように見えなくて、死なない存在なら忘れる事も出来たかもしれない。

 

でもそれは僕が信じた君ではないのです、寿命があっても心から信頼できる君でなければ意味が無いのです。

 

飴玉を受け取ってくれた君でなければいけないのです。

 

飴玉を食べた笑顔は信頼の確固たる証なのです。

 

 

死なない君に憧れてはいけない、受け入れる

勝てない神様 負けない 祈らない

限りある君の その最期に触れて 全てに勝つよ

見えない 死なない 僕らの世界で

その手に触れて 熱に触れて

僕も笑うよ 君と笑うよ


僕は君を 信じたから

 

 

神様のような存在には勝てない、でもその存在に憧れてはいけない、決して負けない、そのように祈らない。

 

君の限りある命、いつか来る死すらも受け入れ、君を疑わない。

 

もしその時が来たら、君と居ることができて良かったと笑顔で送り出せることが本当に信じるということなのでしょう。

 

飴玉を食べて笑ってくれた君の笑顔がどんなにすごい神様よりも信頼できる証だと信じているから。

 

 

 

さて、今回は飴玉の唄を通して、「信じる」とは何かと考えていきました。

 

見る人によっては少し、行き過ぎた感情かもしれませんし、気持ち悪いと感じる方もいるかもしれません。

 

人を信じるなんて人それぞれだからそこはなんとも言えませんが、、、それぐらい人間関係や人との距離感は遠くて難しいモノなのだと思います。

 

では今回はこの辺でまた次回。

 

ino

 

魂込めて歌いました!:良ければお聞きください。

You Tubeはこちら

 

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