こんにちは、BUMP OF CHICKEN大好きおじさんのイノと申します。
今回、歌詞を考察していくのは、ポケットモンスターとのタイアップで今やバンプの好きな曲ランキングでトップに昇りつめるほどの人気となった「アカシア」です。
リリースされてからもうすぐ1年位になりますが、改めて聴いて、目頭が熱くなって天を仰いでしまったので自分なりの歌詞解釈を書いていこうと思います。
ポケモンとのコラボなので絡ませたい気持ちはあるのですが、いつものバンプスタンスの解釈強めでいきたいと思います。
タイトルの「アカシア」とは
見た目は小さな黄色の丸っこい花がポンポンと固まっているような可愛らしい植物です、ちょっとピカチュウっぽい。
アカシアは今や1,000種類以上の品種があるそうで、古くは3,500年前の古代エジプトで薬として用いられていたとも言われる、歴史ある植物です。
ポケモンも25周年を迎え、最初は151匹しかいなかった種類も、今は900種類も発見されているようですよ、ゲームの世界ではポケモンは歴史が深いコンテンツの1つです。
花言葉は「友情」や「愛情」といった、ポケモンという相棒と旅をするイメージにもぴったりな花言葉です。
ただ、アカシアという曲は友情や愛情を超える、もはや生きるための「信念」さえも絡ませて歌っている曲だと思います。
では、歌詞を見ていきましょう。
【歌詞解釈】透明は見えない、だけど確かにある輝き
透明よりも綺麗な あの輝きを確かめにいこう
そうやって始まったんだよ たまに忘れるほど強い理由
「透明」、何も混ざっていなくて見失ってしまうんじゃないかと思うくらい純粋な色。
それよりも綺麗な輝きとは、おそらく夢や目標、理想、人生を進むための「あなたの生きる理由」のようなものだと思います。
生き物は生まれてしまったからには何かしらの生きる「理由」が生まれます。
もしあなたが今何か夢や目標に向かって頑張っているとしたら、それはあなたが生きる大きな理由の1つですよね。
それと出会った時、あなたの心の中で目には見えないけど、理想、輝きが生まれたのです、綺麗な綺麗な「あなただけの価値」が生まれたのです。
どれだけ人生に呆れて、開き直っている人でも「ただ生きる」という「理由」があるはずです。
でも、人生が進むにつれて、周りの環境や出会う人によって、その輝きに向かうことすら知らない内に忘れ(諦め)てしまう時もあるでしょう。
だって、目には見えなくてどうなるか分からないし、今の自分には強く、遠すぎて届くかも分からないから。
冷たい雨に濡れる時は 足音比べ 騒ぎながらいこう
太陽の代わりに唄を 君と僕と世界の声で
輝きを追う途中で苦しいことや辛いことは沢山あるでしょう。
自分だけの価値を見つける途中に誰と足音を比べ、騒いだり、愚痴を言い合ったりするのでしょう?
それはあなたと「理想に屈しない強いあなた」です、もしくは「あなたが理想とする人」です。
「なんであんなに遠いんだよ」「ふざけんな、君みたいに全然なれないじゃないか」
愚痴りながらでもあなたは一歩を踏み出します。
自分の価値を見つけるのは結局は自分自身です、最終的にあの輝きを追うのも諦めるのもあなた次第。
「太陽の代わりに唄を」
そして、この「アカシア」自身は雨の中、太陽のようにあなたを助けてくれる唄ではありません。
その理由は徐々に分かってきますので、お付き合いください。
僕と君はお互いが存在理由
いつか君を見つけた時に 君に僕も見つけてもらったんだな
今 目が合えば笑うだけさ 言葉の外側で
あなたが輝きを見つけたと同時に理想を追い求める強い自分にも出会ったのです。
その輝きを見る度に希望とワクワクとドキドキが勝手に溢れるのです。
一緒に行くのに言葉は要らない、使う必要がない、だって自分の心の中で向き合っているのですから。
ゴールはきっとまだだけど もう死ぬまでいたい場所にいる
隣で(隣で)君の側で 魂がここだよって叫ぶ
泣いたり笑ったりする時 君の命が揺れる時
誰より(近くで)特等席で 僕も同じように 息をしていたい
あの時見た輝きを追い求める自分で死ぬ最後までいたい。
理想の自分(君)は決して諦めたりしない、そんな君のようになりたいと願う、何があっても絶対に僕は離れないと自分の心の奥底で「魂」、信念のようなものが生まれるのです。
夢や目標を追う中で失敗や成功を繰り返して、挫けたり、踏ん張ったり、泣いたり、笑ったりして君が精一杯頑張っている時
僕も君と同じように理想に屈しない人でありたい、というのが1番のサビが表しているのだと思います。
サビの歌詞は「ゼロ」という曲のテーマにもよく似ていると個人的には思います。
終わりまであなたといたい それ以外確かな思いがない
ここでしか息が出来ない 何と引き換えても 守り抜かなきゃ
怖かったら叫んで欲しい すぐ隣にいるんだと 知らせて欲しい
震えた体で抱き合って 一人じゃないんだと教えて欲しい
自分の生きる意味がこの場所にしか見えない、何にも換えられないこの信念(あなた)があるからこそ今の自分が生きていられる。
ゼロもアカシアのテーマととても良く似ているなと感じました。
大事な相棒(信念)との旅は続く
君の一歩は僕より遠い 間違いなく君の凄いところ
足跡は僕の方が多い 間違いなく僕の凄いところ
真っ暗闇が怖い時は 怖さを比べ ふざけながらいこう
太陽がなくたって歩ける 君と照らす世界が見える
理想としている道はそう単純ではないと思います。
思い描いていた道は軽々と困難を乗り越えて、先に進む理想だったかもしれない。
でも、実際は失敗を繰り返して、一歩ずつ確実に進んできた、どちらも進んでいる、どんな歩き方をしても進んでいることは素晴らしいことなのです。
先が見えない場所だって、君も必ず通る道です、だって僕と君は同じ場所に向かって進んでいるのだから。
そう思えば何も怖くない、「この先どうなっちゃうの〜笑」みたいなふざけた会話をしながら、ワクワクと共に進んでいけるのです。
誰かが照らしてくれる道ではなく、二人で照らし切り開いた道の先に求めていた輝きが見えるのです。
涙は知らない内にあなたの背中を押してくれる存在
言えない事 聞かないままで 消えない傷の意味 知らないままで
でも 目が合えば笑えるのさ 涙を挟んでも
「涙」と言えば、悲しいイメージがあります。
辛く、傷ついた時に生まれた涙は何のために生まれてきたのでしょうか。
生まれたからには涙にも理由があります、あなたが頑張った証、前に進んだ理由が涙の理由なのです。
だから、過去に何があってどう苦しかったのかなんて意味を問わなくても良いのです、あなたは涙を流すくらい頑張ってきているのだから、
「なんで僕が傷つかなくていけなかったんだ」とか「こうだから苦しかったんだ」とか理解しなくても、涙を挟んで自分と向き合う時は、深い理由なく笑って一緒に進む事が出来るのです。
ただ自分を信じて側に居てほしい
転んだら手を貸してもらうよりも 優しい言葉選んでもらうよりも
隣で(隣で)信じて欲しいんだ どこまでも一緒にいけると
ついに辿り着くその時 夢の正体に触れる時
必ず(近くで)一番側で 君の目に映る 景色にいたい
挫けそうになった時、「もう大丈夫、君はよくやった」「頑張ったね」なんて自分で自分に掛ける言葉は要らないのです。
君は一人じゃない、この信念を抱えてまだまだ進めるんだ、と君に言って欲しいのです。
ここで初めて「夢」という言葉が出てきます。
輝きの正体=夢、という裏付けができます、そこに辿り着く時、必ずこの信念の一番側で離れることなく向き合っていたい。
二人は出会う前から一緒だった
あの輝きを
君に会えたから見えた あの輝きを
確かめにいこう
夢を見たから信念が生まれたのではない。
あなたに元々、生きる強い力があったから、求める輝きが見えたのです。
多分、出会いと輝きは一瞬のこと、あなたは君に気付く事ができたからあの輝きを確かめにいきたくなったのです。
ゴールはどうであれ
どんな最後が待っていようと もう離せない手を繋いだよ
隣で(隣で)君の側で 魂がここがいいと叫ぶ
そして理由が光る時 僕らを理由が抱きしめる時
誰より(近くで)特等席で 僕の見た君を 君に伝えたい
君がいる事を 君に伝えたい
そうやって始まったんだよ
辿り着いた先、夢が叶った先か、はたまた叶わなかった先になるか分からない。
でも、諦めることに負けない、屈することのない自分と手を繋いだ時、こういう自分が良いと僕が心から叫ぶのです。
弱い自分・強い自分、二人で追い求めた、輝き(理由)が見える時、その輝きで僕らの存在を確認できた時。
困難に立ち向かった強い自分がここにいるんだと胸を張って、自分に言って褒めてあげて欲しい。
最後の「君がいる事を 君に伝えたい」というのは、あなたはあなた自身の力で進んでいけると伝えたいのと、きっとBUMP OF CHICKENからあなたへの言葉なのだと思います。
「僕らの曲を聴いて、頑張れたって言ってくれることは本当に嬉しい。でも、この曲からあなたが頑張れる力を見つけられたのはあなた自身の凄いところ、パワーだから、曲を褒めると一緒にあなた自身も褒めてあげて欲しい」
作詞の藤原さんは昔からこういったことを言っています。
強い君がいる事をBUMP OF CHICKENは君に伝えたい、そうやって僕らの作る唄は始まった、今も昔もそのために僕らの曲は生まれてきたんだと言っているようにも聞こえます。
この「アカシア」という曲で背中を押されたと感じたのであれば、それはあなたが元々持っていた、前に進める力で進めたのです。
最後に:全くポケモンに絡めることができなかったです!(軽くポケモンエピソード)
ポケモンとのスペシャルムービーも何回も見て、とても感動したのですが、ポケモンのエピソードを加えていたらとてつもなく長くなってしまうことに気付き、途中で断念しました。(ここに来るまでに4時間くらい掛かったのです。)
そんな長い文章を誰も読まんと思ったので、今回は自分の感じる歌詞の意味だけをつらつらと書いていきました。
(ここからはどうでもいいポケモンエピソード!)
僕は5歳くらいの時に近所のお兄ちゃんがポケモンの緑バージョンをプレイしていて、ポケモンに初めて出会いました。
当時のゲームってマリオとかカービィとかアクションゲームが流行ってて、RPGとかでもドラクエとかFFとか人間とパーティを組んで旅をするゲームがほとんどでした。
今までゲームでは敵の存在だった「モンスター」を仲間にして、一緒に戦うなんて他のゲームにはなかったし、そいつらと旅が出来るなんてワクワクしかなかったですね。
ポケモンの種類も沢山いて、みんなポケモンの好みが違って楽しめたのも記憶に残っています、普通のRPGだとこんなにキャラがいませんから。
発売してすぐはポケモンってそんなにヒットしてなかったので、割と簡単に手に入れられた気がします。(赤バージョンだった)
でもその数年後に発売された「金・銀バージョン」は予約しないと買えない状況でした。
ローソンのロッピーで予約したのを覚えてます、周りは予約していなかった子が結構いたのでちょっと優越感に浸ってました。
小学校の時は金バージョンとその後でた「ルビーバージョン」を異常なくらいやってました、プレイ時間が999時間でカンストしてましたね(小学生なの?)
赤バージョンやらなくなったから、家に置いてたら、母親がこっそりやっててパーティが
- サンダース
- カイリュー
- ケンタロス
- スターミー
- フーディン
- ナッシー
でした。
いや、ガチパーティなんよ、フーディンどこから来た?
カイリューとか当時めんどくさくて育てたことなかったんよ。
通信ケーブル持っている人が少ないのに、大人って凄いなってその時思いました。
最後はまったくアカシアとは関係なくなりましたが、ポケモンのエピソードはいくらでもあるので今回はこの辺で。
歌詞解釈の1つとして参考になれば幸いです。
ではまた!
ino
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