BUMP OF CHICKENのアルバム「Butterflies」に収録されている「流星群」。
曲の間奏では広大な丘の上で寝転がりながら、満点の星空を見ているかのようにさせてくれる壮大な曲調ですが、歌詞の世界はどのようになっているのでしょう。
個人的な解釈にはなりますが、歌詞を書いた藤原さんがライブステージに立ち、それを見ている沢山のお客さんがイメージされました。
お客さんと向き合うBUMP OF CHICKENとBUMP OF CHICKENと向き合うお客さんの遠いようで近いような、そんな繋がりを感じる楽曲だと思います。
では、その理由を実際の歌詞を見ながら、考察していきたいと思います。
見たくて仕方のないもの
月が明かりを忘れた日 冷たいその手をぎゅっとして 地球の影に飛び込んで 見えない笑顔を見ていた どちらかため息を落とした 合図みたいに見上げた 空は曇って塞いでいる 流星群 極大の夜
「月が明かりを忘れた日」
これは藤原さんが過去に「新月」のことを言っていると公式の情報があります。
新月とは
地球→月→太陽が等しく重なって、反射した太陽光が地球にほとんど届かない状態のことを指します。
夜中に月の光とは自分を照らす大事な役割があり、それがほとんどない状態、更には空には雲が覆ってほとんど真っ暗。
寒いのか、怖いのか、緊張しているのか、手は冷たくて震えている。
このような状態で道を歩くのはとても怖いですよね。
多分、人生を歩く中で辛い時ってこんな気分。
きっとBUMP OF CHICKENのライブを訪れた方の中にも、どれだけライブを楽しみに来たとしても、心の何処かに忘れられない、離せない不安や過去の記憶を持っている方もいるでしょう。
「どちらかため息を落とした」
藤原さんが歌い始める前の呼吸か、それとも目の前のあなたが何かを思い出してついたため息か。
ポイント
藤くんは過去に「ライブに来てくれたお客さんは色んな表情をして聴いてくれている。どんな思いをして聴いているのか、一人一人聞いて回りたい。でも、それが出来なくて本当に悔しい。」というような発言をしています。
空は曇っているのにその先の流星群はきっと良く見える。
見えるチャンスなのに見えない。
時間止まったような気がして 気持ちばかり溢れて いつの間にか言葉忘れてしまった
あなたの気持ちが知りたくて仕方がない、どんな思いでここに立っているのか知りたい。
一瞬の感情だけど、そんな思いがグルグル駆け巡って、まるで時間が止まったよう。
そんな思いだけが溢れてしまいますが、そう簡単には分かるはずもありません、結局君にかける言葉も見つけられません。
ほんのひと時だけど魔法のような夜だった
こんな魔法のような夜に 君と一緒で良かった 右手に触れた温度が 明かりになった その笑顔の向こう側の方から 泣き声が聴こえちゃった 流れ星よりも見たいから 解らないように探している
音楽やライブというのは人生の中のほんの一瞬、一部の時間でしかありません。
しかし、そのひと時に曲を聴いて笑顔になることもあれば、涙することもある、はたまたそれが同時に起こることも。
なぜ笑顔になれたんだろう、なぜ涙を溢すのだろう、なぜ笑顔なのに涙が出るんだろう。
その理由は全く解らない、けど涙を流している君がそこにいる。
きっと曲を聴いて、心のどこかに響いたから感情が溢れたのだろう、それを感じ取ってしまった。
雲の上はきっとあなたが見たくて仕方ない、夢や希望が広がっている。
でも僕はそれよりも先にあなたがどんな感情で曲を聴いているのかが気になって仕方ないのです。
きっと夢や希望の話を聞いてあげた方が楽しいかもしれない、だからあなたに気付かれないようにそっと探して寄り添おうとしているのかもしれません。
名前も知らない目の前の君とこんな感情を交わしあえる瞬間が生まれる音楽って、まるで魔法のような一瞬だと思いませんか?
震えるあなたの手がきっかけとなり、この魔法のような夜を生み出しているのです。
地球の影には僕も君もいる
あまりも静かだったからいろんな事を思い出す ひとつひとつ丁寧に 心の中で膨らんだ 痛みはやっぱり強いから 何よりも大きく育って 地球の影に広がって 僕の胸まで痛かった
「地球の影」というのは地球上どこにでもある暗闇の事なのかなと解釈します。
誰でも持っているけど分かり合えない感情。
真夜中や布団の中、ひとりぼっちの状況では不思議と嫌だったことやこれからの大変なことを思い出してしまいます。
それって誰しもあることで、中身は違えどその辛さは解っています。
それが心の中に広がってしまう辛さも解っているから僕の胸も痛むのです。
誰も気にも止めない 逃げ出したって追わない 僕らがこのまま 消えたとしても
たとえその痛みに苦しめられようとそれから逃げようと誰にも関係ないことです。
君が消えてしまったって世界には取るに足らない出来事かもしれません。
だけどここに来たあなたには居てほしい
出さなくたって大きな声 そこからここに響くよ これほどに愛おしい声を 醜いだなんて あの雲の向こう側の全部が 君の中にあるんだよ たとえ誰を傷付けても 君は君を守ってほしい
きっとここに来たひとりひとりが解りあえない感情を持っている。
それは君自身には嫌な感情で、醜くて消し去りたいものかもしれません。
その感情に響いたかは解らないけど、曲を聴いて、笑ったり、泣いたり、叫んだり、歌ったり、今ここで僕に届いて繋がらせてくれたその感情は僕にとってはかけがえのないものなのです。
「あの雲の向こう側の全部が 君の中にあるんだよ」
この文章だけであなたの人生は無限に広がっているから大丈夫だよ、と。
あなた基準で自分が宇宙の中心で生きていて良いんだと肯定してくれているように取れます。
誰かに「君はすごい」なんて言われなくても良い、「僕がすごいと思えば、凄いんだ」と自分を肯定してほしい、そう言ってくれているのだと思います。
BUMP OF CHICKENとリスナーは互いに必要な存在
それからため息を落とした 冷たいその手が熱かった 俯いた僕らの真上の 隙間が光が流れた こんな魔法のような夜に ようやく君と出会えた たとえ君を傷付けても 見つけたかった あの雲の向こう側の全部が 君の中にあるんだよ 僕の見たかった全部が 笑顔を越えて 零れたよ 信じた言葉が力を失くしても 自分が自分を認められなくても 集めてきた星が砕けて消えても そこからここに響くよ 真っ直ぐな道で迷った時は それでも行かなきゃいけない時は 僕の見たかった 欲しかった全部が 君の中にあるんだよ
ここのため息は大きく息を吸うため、踏み出す一歩の前の呼吸のように思えます。
「あの雲の向こう側の全部が 君の中にあるんだよ」
「僕の見たかった全部が 笑顔を越えて 零れたよ」
「僕の見たかった 欲しかった全部が 君の中にあるんだよ」
星空のように無限に広がる世界が既に君の中にあって、最後には僕の見たかった欲しかった全部も君の中にある。
夢も希望も苦しみや痛みも君の中に全部ある。
夢のような目標、生きる糧があって進んできたからこそ心を痛めることがあるのです。
前に進んでいるからこそ、音楽を聴いて心に響き、涙し、笑ったりもするのです。
たとえBUMP OF CHICKENの曲を聴いて、知りたくなかった核心を突かれて、気付き、傷付けてしまったとしても笑顔で隠してしまったその涙もあなただからそれすらも全部見たいのです。
この歌詞を書いた藤原さんも同じ。
あなたと似た気持ちを抱えて、その気持ちを音楽として表現してきたからこそ、共感を得て、目の前のあなたと繋がる事が出来ているのです。
ライブ会場で目の前で感情が溢れて、涙するお客さんを前に「この人は今をしっかり生きている」と感じる事ができ、自分にもそれが欲しいと心底願っているからこそ「僕の見たかった 欲しかった全部が 君の中にあるんだよ」という言葉が出てきたのでしょう。
音楽を通して正面からお客さんと同じ気持ちで向き合えた、名前も何処から来たのかも知らないあなたと一瞬でも繋がる事ができる魔法のような夜。
きっとBUMP OF CHICKENにとって、音楽やライブというのはそういうものなのではないでしょうか。
勝手に進んでいく時の中で、誰も信じられなくなっても、どれだけ挫けようとも。
その度に思い出して欲しい。
君の中にある全てが僕にとっては羨ましく、輝いているものを持っているんだと。